可視的・物理的な感覚、つまり身体を通じた感覚(触れることや見ること)で到達する愛は成立するか。また過剰か過不足か。
例えば、肉体的な行為(共同生活や性行為)は精神的結びつきと密接に関わるものである。しかし両者の間には常に曖昧な境界があり、明確に区切ることは難しい。また、このような身体的接触や可視的接触が精神的結びつきを常に保証するわけではないことも押さえたい。
では愛は神経伝達物質やホルモン(ドーパミン、オキシトシン、セロトニンなど)が関わる単なる化学反応であるか、あるいは生存戦略の一形態なのか。それとも精神的な意味や目的を追求し、動物的イデオロギーを排除し乗り越えていく先にある何かが愛なのか。
現代人の一般感覚として、動物的であることを意識しない。愛を物質的なものの背後や先に見出そうとする。
しかし一方で、そうした愛、つまり物理的側面を無視し純粋な精神性に偏る愛には限界が伴うという事実も否めない。愛の裏には、無意識のうちに自然なものとして受け入れ同化している動物的・物理的感覚が潜んでいる。
単なる二項対立ではない表裏の関係を超えた融合点をこれからの時代追求することが良いとされたい。
そしてその融合に愛を見つめる、その曖昧さこそが愛の本質であることを肯定し自覚したい。
